不安の原因

不安の原因

不安の原因

不安の原因となるものはいくつもあります。

外的な依存度、外的な物への執着の深さに比例して、不安も強くなる

例えば、

  • 〇〇があるから安心
  • 〇〇になったから幸せ
  • 〇〇を持っているから幸せ

など、何か特定の外的な何かに強く依存している(寄りかかっている)と、不安の原因になります。

なぜなら、外的な何かは、最終的に自分自身でコントロールできないからです。(そもそも自己制御ですら難しい)

そのため、寄りかかっていた何かを失いそうになると、不安・動揺・怒り・悲しみなど様々な状態を体験をすることになります。

具体例①:収入が100万円あるから幸せ と強く感じたとすると、一方で100万円以下なら不幸せ、という世界をその人の中で作り出すことになります。そのため、収入が100万円を下回りそうになると、不安が湧いてきます。

具体例②:素敵なパートナーがいるから幸せ 素敵なパートナーがいることは素晴らしいことですが、それがいつまで続くかは不透明です。もしかしたら、新しいパートナーを見つけて去っていくかもしれないですし、突然亡くなってしまうかもしれません。相手への幸福依存度が高いほど、失いそうになった時の不安、失った時の悲しみも深くなります。

自らの幸せが、外的な何かに強く依存していると思っている、またその数も多いと、それだけ不安要因が多いということになります。

それは明暗の強すぎる写真で例えることができます。

光と影に強く影響され、その人自身の感情も依存度に比例したアップダウンを繰り返し続けることになります。

(やがてそれに疲れて、その外面的な光と影の2元性を超えたものを求めるようになった時、ようやく安らぎを見出すことができるようになってくると実感しています)

実は人間はあらゆる何かに依存している

肉体を維持するのに、水・食べ物に依存しています。食べ物の消化、血液の循環、心臓の動きも、自分の意思で行っているわけではありません。このことについて、よくよく見つめ観察していくと、実は人間は生きていくのにありとあらゆる何か-社会、自然・・・地球、そのすべてを支えている命そのもの-に依存して生きている現実に気づきます。

あらゆる依存を認識し感謝した上で、自分自身が意識的に自立し、今何ができるか、どのように貢献できるか、など具体的に行動していくことがとても大切なのではないか、と思います。

 

その人(意識)がまとっている考え・観念・概念も不安の原因に

人間は、別の表現では”意識体”とも言えます。

意識とは、”私”という自分自身の存在そのものです。誰しも自分自身は存在する、という自己認識があるはずです。

そして、本来自由である意識”私”が、様々な観念・概念をまとって、自分自身を束縛しています。

よくある事例で、経営者が事業が悪化や倒産しそうになると、強烈な不安を感じることがあります。この不安要因の1つに、その経営者の意識が”経営者・社長”という概念に埋没していることが原因のこともあります。埋没や執着の程度に比例して不安や恐れが生じます。

この話は、とても深い内容です。

私の経験からわかったのは、成長のために様々な観念・概念を身にまとっても(例:立派な経営者なる、など)、ある段階において、その観念・概念は捨てることになる、ということです。無意識的に受け入れていた観念・概念、意識的にまとった観念・概念を積極的に脱ぎ捨てると、私はあれでもないし、これでもなかった、今の肩書も一時的なものに過ぎないと理解できるようになります。あらゆる制限から解放され、生き生きと、もっと自由に生きることができるようになります。

(※この自己認識の旅は、最終的には、あらゆる段階を経て、すべてを越えた境地に至るようです。詳しくは『あるヨギの自叙伝(パラマハンサ・ヨガナンダ)』ご参照。)

 

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